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続「WEBは死んだ」について考える

庭へ出て一服。ふと、夜空を見上げる。先日書いた記事にWEBの未来についてまた想いが巡る。今回の記事は、特に技術的な内容ではない。ちょっと過去を振り返って未来を考える感じでつらつらと書く。

現在、過去、未来

自分がインターネットに出会ったのは、1993年、Windows95が発売される1年半ほど前だったはず。最初の出会いは、友人のマッキントッシュだった。型番は忘れたが箱のようなものから飛び出してくる情報に「きょとん」とした。その時点では、さほどの感動もない。それからしばらくしてMosaicを入れたMacに出会った。画像とテキストが同時に閲覧出来るようになったブラウザだ。これには素直に感動した。地球の裏側から瞬時に情報が届く。そして虜になった。

当時、PCは個人向けと言っても高価ですぐに買えるものでもなく、しばらくショップの展示機を触らせて貰うか、友人宅でMacを触らせて貰う程度。そして念願の初購入したPCは、IBMのAptiva。今はなき名機だ。初期インストールはWin3.1で、後からWin95への無償アップグレードが出来るということだったが、当時はまったくの度素人。散々苦労してアップグレードした記憶がある。当時は、嫁(まだ結婚する前)の方が知識があってDOSのコマンドなどはすべて嫁から教えて貰った。その時のインストールの苦労がなければ、ひょっとしたらコマンドなどと言うものを知らずに来たかもしれず、結果的にはそのタイミングでPCを購入したのは良い肥やしになった。

さては置いておいて、最初のホームページだ。まだそれを職業にするなどとはまったく考えてもいない。とにかく海の向こうから押し寄せてくる波に乗って自分のプロフィールなどを綴ったホームページを公開した。見られているのかどうかすらも分からないのでアクセスカウンターなるものをPerlで作ってみたりして、カウンターが増えていくのを毎夜愉しみにページへアクセス。デジカメなどはない。どうにかこうにか不細工な画像を用意して飾りを付けるものの、写真をどうしてもアップしたい。それで購入したのはデジカメではなくスキャナだ。もしこの時にデジカメを購入していれば、また違った方向になったかもしれないが、スキャナ購入で火が付けいたのが書籍をデジタル化したいという欲求だ。当時もやはり大の本好きで、それをいつでもどこでも見れるようにすることをなんとしてもしたかった。結果的には、あまりにも作業がしんどいので挫折。必要な部分だけを手打ちでホームページに入れることにした。

とは言っても、まだノートPCも持っておらず、また持っていたとしても今のようにどこからでもアクセス出来るわけではない。ただの自己満足でしかなかったが、とにかく自分用のホームページとしてその様な情報を蓄積していく。そこで困ったのが、探すのが大変ということ。さてさてと、また独学しながらそれを検索するプログラムを作ることになる。ちゃちな検索システムだったが、それでも十分にニーズを満たすことが出来た。そうやって俺のインターネット生活は続いていくことになる。

転機が来たのは、幼なじみに自慢の愛機と、自慢のホームページを見せた時だ。幼なじみは、某有名大学を卒業する寸前に脳腫瘍が分かり、その手術の影響で障害があった。聴力は殆どなく視力もかなり落ちていた。ただ頭はいい、福祉施設でやるような単純作業だけさせるのは勿体ない。是非にPCを購入してネットで仕事をと考えてだったが、残念ながらその後亡くなった。まだ28歳だった。

無力さを感じた。ネットがあっても、障害を持つ人がそれで仕事をするまでの環境にはなっていなかったのだ。提供される情報も、前記したような自分勝手な自己満足の情報をただ並べているだけ。猛勉強を始めた。もっと勉強しなければならない、そしてなにか役に立てるものを作りたい。まったくボンヤリした考えだけで勉強した。もう30寸前で未経験にもかかわらず、あちこちに履歴書を送りまくった。そうやってなんとかITの世界に潜り込んだ。仕事をしていく中で最初の想いはどこかに消えていった。次の事件があるまでは。この事件については、また別の機会に。

「WEBが死ぬ」。どういうことだろう?これまで、そうやってネットの世界に入り、WEBに関わる仕事に就き、WEBはオープンなものだというふうに自分に言い聞かせてきたが、ひょっとしたらWEBはもっと排他的でクローズされたものとして利用されるべきものだったのではないだろうかと。当初、自分が自分のためだけにホームページを作っていたように、多くの人にとってのWEBはパブリックである必要はないのではないのだろうか。そういう意味で、今を見てみると、ソーシャルネットワークは人との繋がりを広め強化していくものではあるが、傾向としてはどんどん内向きの利用方法になってきている。

そのためマーケティングの手法も変わってきている。これまで消費者をコントロールしてきた広告も苦戦気味。どの広告媒体も、とにかくパーソナルデータを収集して、その繋がりの中で生きていけるように必死だ。つまり「WEBが死んだ」は、「オープンなWEBは死んだ」というふうにすべきなのだろうと思う。俺が苦労して得た技術は、いまや誰もが非常に簡単な方法で同様のことが出来るようになってきていて、誰かのためではなく自分のためだけの利用という原点に戻ってきたというだけなんだ。誰かに情報を届けるなんてことは、普段の生活にはまったく必要がない。自分が欲しいものだけがそこにあればいいのだ。つまり俺が最初に夢中になった、それだ。

ブログやホームページは誰もが簡単に作れるようになった。蓄積したデータの検索だって簡単だ。アクセスは気になるが、ビジネスで利用していない限りはそれさほど重要ではない。その様な意味では、WEB、ネットはさらに排他的になりクローズされたところでの利用が多くなり招待制が普通になるだろう。パブリックなWEBサイトはあるにはあるが、そこに集まるトラフィックは多くは激減することになる。

現に優れた洞察と慧眼を持つ友人が居るが、そのBlogは招待制だ。本当に仲間内だけの話題として、その仲間も限定されている。特にそれで多くの人に見て貰う必要がないからだという。俺もどちらかというと、そっちの気はある。ただ道具としてWEBとネットを使いたいという欲求。誰かの影響を受けるまでも無く、誰かに影響を与えるまでも無く、時に共通の話題として残しておきたい日記としてあるだけだ。そういう利用方法が、ごく自然なんだろうと思う。

その様に考えて、このブログは招待制にまではしないが、誰かのために書くと言うことはやめた。最初は、ビジネスに繋がるようなものと考えたが肩の凝る無理な関係を作るためのブログにはしたくない。だから、今度からこんな感じで書く。時には自分の話題ばかりで、オープンではないスタイルと見られるかもしれないが、それが普通なのだということで。

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