補聴器探しであれこれと
補聴器の相談で3軒はしごした。マジで高いんだ。障害者認定されるほどではないから補助はまったくない。今のがそろそろ寿命になりそうで音が籠もるようになって複数の人が集まるような会議だと聞き取れなくなっている。症状そのものが進行しているというのもある。
事情が分からない人には、いつもの如く「人の話を聞いていない」と取られてしまうので、それを説明することも出来ずに何とも言えない気持ちになる。接客業ではないし仕事に差し障ることはまずないのだが、そこで判断されるとどうしようもない。
普通に聞こえるというのが、どのようなものなのかも聞こえない立場としては分からないのだ。大きな声で話せば聞こえるというものでもないので、立場的に仕事の話をしている最中で、個人的な事情を配慮しろと言うのもタイミングがとりづらい。
最近はこうやって公に言うことが出来るようになったが、前記したような判断をする人もいて、以前はそれさえも隠していたから。公に言うようになったのは、やはりアクセシビリティというのを理解していない人が多いからかな。
何を障害とするかで、アクセシビリティというのは変わると言うことを伝えるためにも実例として自己体験を持つ人間が目の前で説明する方が納得してくれるだろうと。それに、それを多くの人に知ってもらうのは俺の義務でもあり責任だろうと。アクセシビリティとユーザビリティというのを一緒くたにしている人が多すぎる。
それはさておいて補聴器を扱っている店でも、ただ大きい声で説明するところもある。そういう店は少しだけ話を聞いてパスするが、ほとんどの店はそんな感じだ。話戻すがWebでも文字が大きければ、コントラストが高ければなんて単純なもんじゃない。JIS-X 8341なんてのは実用ではあてにならないもんだ。独自の「おもてなし」の心があって初めてそれは意味を持つ。
最後に行った店では、難聴をよく勉強した人のようで、カタログやデモ機を取りに離席しても、きちんと戻って着席してワンテンポ置いて話し始めてくれる。これは聞こえる聞こえない以前のマナーなんだが、それがちゃんとしてて補聴器なしでも聞き取れないということがなかった。普段は外しているからね。
そう言うことで、そこにお願いすることにした。メーカー主催の体験会の日に来て貰えば、更に割引が出来るから待てればその日にと良心的な案内までしてくれたので、間違いなくその日に行って、その日に注文することになるだろう。
そして家への帰り道、あぁ俺が聞こえないときはアニーが教えてくれてたんだよなと思い出して、今の喪失感はそこも大きいのだろうと思った。なにをするにもアニーを思い出してうるうるしてしまう。重症だ。
しかし、アメリカだったら安いのがいっぱいあるのだが日本は高すぎる。補聴器が必需品ではなくて贅沢品扱いだ。これは本当に経済的にもきつい。